学校はいらない?
今日も堀江貴文さんの
すべての教育は『洗脳』である
の本書の内容から伝えたいと思います。
学校がいらない最大の理由。
それは、国民国家というファンタジーの消失だった。
インターネットの登場によって、旧来型の国民国家が解体されつつある現在、もはや『国民』の養成機関としての学校には何の価値もない。
今世界中の人々が、インターネットを通じて、国民国家が幻想であったことに気づき始めている。
国民国家の幻想が有効だった時代、人々が幸福な人生を送るのは、ある意味では簡単なことだった。
なぜなら、何が『正解』で、そのルートはどこにあって、それを得るためにはどうしたらいいかを、国家が手取り足取り教えてくれていたからである。
良い大学を出て、良い会社に入り、終身雇用が約束された中で結婚相手を見つけ、子どもをつくり、マイホームの一つも手に入れる。
堀江さんの親世代を始め、多くの人たちが、これが『幸せ』なのだと信じ込まされていた。
学校は、そうした常識を叩き込む洗脳機関として十分に機能していたと言えるだろう。
日本人は、両親や学校の先生からまず、『いい大学に入りなさい』『学校で落ちこぼれないようにしなさい』と指導される。いい大学に入ることこそが幸福へのプラチナチケットであり、逆にここを逃せばその後巻き返しのチャンスはないだと、繰り返し論されてきたはずだ。
しかし現在、『いい大学からいい会社に入る』だけでは幸せになれないと、誰もが実感していると思う。
これは単に景気が悪くなったからではない。
国民国家の幻想が失われたことによって、幸せの形に『正解』がなくなった。
つまり、多様化したのである。
もはや、学校で『一つの常識』を教え、『一つの教科書』を与えていれば間に合う時代ではない。
近年、それを象徴とするような事件も頻発している。
たとえば2016年に大きな社会問題となった、電通の女性社員の過労自殺事件。
東大卒という学歴エリートであり、一流の広告代理店に就職できた就活エリートでもあった彼女は、結果的に、最大の不幸を自ら選んでしまうこととなった。
こうした事件と『国民国家の幻想の崩壊』は、決して無関係ではない。
一流大学から大企業に進むルートは、
『国民国家の幻想下でのエリートコース』でしかないのだ。
国民国家の幻想がなくなり、誰もが共有する『幸せの正解』がなくなった現在、
人は国民ではない『民』の1人として、自分だけの幸せを探し、生き方を探し、働き方を探さなければならない。
それは、画一的な『学校』で教えられるものではないというのが堀江さんの意見なのだ。
僕自身も自分の幸せとは
自分の生き方とは
働き方とはなんなのか考えた時に
素直に色んな国に出向き
様々な文化に触れて、感じて、日本と海外を繋ぐ仕事がしたい。自由に生きていきたいので、すごく共感できる。
国民国家の、幻想にしがみついたままでは、時代のながれについていけず、おおきな壁にぶつかるだろう。
国民国家という幻想が崩壊する。
それは別に、世界中の人間がいきなり
『地球人』として新しい枠組みの中で生きるようになる、という意味ではない。
今後人々は、生まれた国や地域に関係なく、生き方、考え方、働き方の面において大きく二つの方向に分かれていくだろう。
一つは、世界規模、''グローバル''を
行動範囲とする『G人材』。
そしてもう一つは、地域、''ローカル''
に根づく『L人材』である。
G人材とL人材の生き方は、あらゆる点で大きく異なる。
両者の違いを、下にまとめてみた。↓
・国民国家の幻想
G人材=なし
L人材=あるが地元レベルにとどまる
・人物像
G人材=合理的、寛容、フラット
L人材=情緒的、排他的
・大切なもの
G人材=自分のやりたいこと
L人材=仲間との絆
・フットワーク
G人材=軽い、変化を好む
L人材=重い、変化を嫌う
・豊かさの指標
G人材=情報
L人材=お金、モノ
・こだわる場所
G人材=なし
L人材=地元
・生きている時間
G人材=現在
L人材=過去の思い出
・希少性
G人材=高い
L人材=引い
G人材は、国民国家の幻想を持っていない。
国境のないインターネット空間の感覚そのままに、現実世界をも縦横無尽に動き回る。
人種や民族、セクシュアリティの違いを理由とした差別なんて、
G人材にとっては無意味なものでしかない。
フットワークがとても軽く、環境や社会の変化にも強い。むしろそれを楽しむ余裕すらある。
眼差しが向いている先は、
過去ではなく常に未来だ。
世界規模で動き、考え、働く彼らの中には、世界規模の成功を収める
''スター''のような存在も多い。
ただ、G人材自体の数は非常に少ない。
一方、世界の9割を占めるL人材は、
いまだ国民国家の幻想から
解き放たれてはいない。ただその幻想の範囲はもっと狭く、自分の住んでいる地域レベルにとどまっている。
地元が好きで、そこにあるコミュニティを守る彼らは、いわゆる
『マイルドヤンキー』だ。
彼らが大切にしているのは、なんていっても『仲間の絆』である。家族や昔からの友達との付き合いを大切にし、自分の結婚相手や子どもをそのコミュニティに加えていく。『仲間が大切』だから『仲間以外』に対しては厳しい。
したがって、どちらかといえば情緒的で、排他的な性質をもっている。
僕は将来的に世界中を飛び回りたいと思っている。
『日本にいなければならない理由がない』から、好奇心の赴くまま、出歩きたい。
今は、世界中どのにいようが働くのに不便はないと思うし、スマホ一台あれば、
世界のどこからでもツイッターを更新できるし、ブログも更新できる。
LINEだってスカイプもできる。
素晴らしい時代になったと思う。
『こんな生き方は堀江さんしかできない』と
よく言われるそうだ。
お金持ちだから、有名だからできることなのだろうと。でも違う。
家を持たす、住む場所にこだわらない生き方自体は、実は誰にでもてきるのだ。
今日はそんな感じで
終わりたいと思います
続きは近々更新します!
最後まで読んでくれた
あなた
ありがとうございます!!!