俺のブログじゃけん

~海外への挑戦~人生チャレンジャーであれ。

1年後の未来ですらわからない時代

「最近の若者は~」とよく大人が口にしているのを聞いたことがありますか?

 

最近の若者は

「甘い」 「礼儀がない」 「自由」 「社会を分かっていない」

といったマイナスなことばかりだとしたら、その原因は何なのでしょうか?

 

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昔と今、教育体制が変わったわけでもないし、

確かに縦のコミュニティは以前よりも減ってしまったけれど

むしろ

昔よりも勉強するインフラは整っているようにも見えるし、

大学まで卒業する学生の数はずっと増えているはず。

 

じゃあ

「社会人」としての常識を学ぶ場が少ないのか?

といえばそうでもなく、

社会の中で「働く」ということを意識できるアルバイトの経験も多いだろうし、

中にはインターンの経験をしている人だっていますよね。

 

そう考えると昔よりもずっとチャンスも機会も増えているし、

学生のうちから様々なセミナーに足を運んだり、

社会人と肩を並べていることは増えているはずです。

 

それなら、「最近の若者は」という人たちだって

20代の頃はやんちゃで、自由で、お礼のあいさつもできない人だったのか?

それを忘れて「最近の若者」を指摘しているだけなのか?・・・

 

・・・

そんな風に考えてしまいますが、皆さんはどう思いますか?

 

「最近の若者は」と言われたことのある人も、

「最近の若者は」と口走ったことのある人も、

 

それは「なぜ」なのか?それに対してどうあなたは思ったか?

 

是非一度、考えてみてほしい。

 

「最近の若者」と言われるのは何のせい?

 

「最近の若者は」の裏にある(だろう)言葉、

「なってない」「甘い」「必死さが足りない」「常識がない」・・・

 

これらの原因を突き詰めると、

もちろん本人のやる気がなかったりとは

いったことはありますが、その裏ある大きな時代の変化として

「情報過多」があるのかもしれません。

 

例えば、何かついて知ろうと思えば

Googleで調べたら良いわけで、

何かを比較したければ「比較サイト」なんてものがあるわけで

レポートだってWeb上から情報を持って来たり出来ちゃうわけで。

 

自分で足を使ったり、お金を使ったり、労力をかけなくても

色々な情報が手に入りますよね。

 

それに加えて、物質的なもののハードルも下がっています。

「あの店でイタリアンを食べる為に頑張って稼ごう」みたいなわかりやすい目標を持つことができた。

生きていくために「頑張る理由」がどこにでもあったと思う。

 

だけど今では、「早い、安い、うまい」がそこらじゅうにあって、

そこそこのお金を稼げば生活もなんとかできたり、290円でドリアが食べれたり。

自分で家を借りれなくても、たとえばシェアハウスがあったり。

 

 

この仕事が無理なら、あの仕事をすれば良いし、

あの仕事が嫌なら、この仕事をすれば良い。

あの店が気に入らないのなら、この店に行けば良いし、

この人が気に入らないのなら、あの人に頼めば良い。

 

情報にしても、モノにしても、何にしても、

とにかく「代わりになるもの」がいくらでもあるんですよね。

 

その一つのものに執着しなくても、自分の身体ひとつに頼らなくても、

何にしても代替品があって、とにかく

サプライヤー(供給者)」が多すぎる。

 

そのことが良いことか悪いことかは別にして、

まさにこの状況が当たり前になっている若者たちの姿こそが、

サプライヤーが今と比べて少なかった若者時代送っていた人たちにとって

甘いとか必死さが足りないと見えているのではないでしょうか?

 

 

長くなりましたが、

 

「最近の若者は」と言われたことのある人

「最近の若者は」と言ったことのある人

 

皆さんにとっての納得のいく理由は

どこにあるのでしょうか?

 

 

全然俺らしくない堅い記事に

なったけど

 

最後まで読んでいただき、本当に有り難うございました!